2012年11月07日
帰省しました!その2
翌日は早朝から立川駅周辺を散策。
「軽井沢ベーカリー」でモーニング
ホテルに帰ってから、荷物をまとめて、フロントへ!
すると雨が降っていました
折りたたみもあるし、今日は上の弟が車で迎えに来てくれるのでよかった
ほどなく弟がやってきて八王子に向かいました。
私が20歳の時に亡くなった母の入っているお墓があるのです。
墓苑近くのコンビにでお花、お茶、お線香を買いました。
傘を差しての墓参り、墓石の掃除をして、お供えをして
手を合わせ・・・
次は父の入院している病院へ。
次男と合流するので急ぎます
車内、父がとても痩せてしまったこと、入れ歯もしていないせいで人相が変わっているから、驚くかもしれないということ、そして、もしもの時のことなどを話しました。
そして次男家族とも合流し、病院の父の元へ。
顔を見た途端ショックを受けました
涙をこらえ
「お母さんの命日も近いし、お父さんのことも心配だから1人で来たんだよ!」
そういい、布の手袋で覆われた左手と握手をしました。
糖尿病の副作用で、ほとんど視力が無いはずの目を見開き、うんうんとうなずいてくれました。鼻に管が入っているせいか声が全く出ません
腕にも点滴をしていて、それらの管を勝手に外さないよう手袋をはめられているようです。
父から見えない場所で泣いてしまいましたが
次男の子ども達、姪っ子2人が折り紙で折った鶴を父の目の前に持っていきヒラヒラさせて見せてくれました
やはり孫が視界に入るととてもうれしそうで、
いくら娘でもおばちゃんじゃあ、ダメか!
なんて思ったりして・・・
最初、何を言ってもうなずくだけなのかなと思ったんですが、一緒に写真を撮ろうと次男が父と私にカメラ
を向けると首をイヤイヤと振るので、ちゃんと考えて反応してくれていることがわかりました。
そして、私が家族の写真を取り出し、父の目の前に持っていくとうれしそうに見ていました。
そのしっかりしていること・・・
実は認知症が進んでいた父は大声をあげたり、結構激しい暴れ方をしていた時期があり、精神安定剤を施設で出されるようになったそう。その後家族の名前がわからなかったりと混乱している時期があったらしいのです。
それに比べ、今は元の父のように穏やかで落ち着いてると次男が言うのですから不思議です。
持病のための薬が1日20錠
を越える時期があったらしい父、今は最低限の栄養のみで薬は飲んでいません。薬気が抜けたため、生来の父に戻ったんでしょうか?
私が帰ろうとすると首を振ってイヤイヤするので、なかなか立ち去れず
「子ども達が家で待っているから、今度は家族で来るからね
」
と言うと、うんうんとうなずき、バイバイ
してくれました。
東京駅でモロゾフのスカイツリーチョコ?とか子ども向けにお土産を買い、新幹線
に乗り込み、弁当
を食べ終わると、父のことや、弟達、姪っ子、いとこと双子達のことが次々と思い出され、行きの旅行気分とは全然違う気持ちになっていました。
近ければ、毎日病室に行くのになあ・・・
母の時にしてあげられたことが父にはできない・・・
それが今の自分にとって、一番悔しく、悲しいことでした
家族の時間って大事ですね
「軽井沢ベーカリー」でモーニング

ホテルに帰ってから、荷物をまとめて、フロントへ!
すると雨が降っていました

折りたたみもあるし、今日は上の弟が車で迎えに来てくれるのでよかった

ほどなく弟がやってきて八王子に向かいました。
私が20歳の時に亡くなった母の入っているお墓があるのです。
墓苑近くのコンビにでお花、お茶、お線香を買いました。
傘を差しての墓参り、墓石の掃除をして、お供えをして
手を合わせ・・・
次は父の入院している病院へ。
次男と合流するので急ぎます

車内、父がとても痩せてしまったこと、入れ歯もしていないせいで人相が変わっているから、驚くかもしれないということ、そして、もしもの時のことなどを話しました。
そして次男家族とも合流し、病院の父の元へ。
顔を見た途端ショックを受けました

「お母さんの命日も近いし、お父さんのことも心配だから1人で来たんだよ!」
そういい、布の手袋で覆われた左手と握手をしました。
糖尿病の副作用で、ほとんど視力が無いはずの目を見開き、うんうんとうなずいてくれました。鼻に管が入っているせいか声が全く出ません

腕にも点滴をしていて、それらの管を勝手に外さないよう手袋をはめられているようです。
父から見えない場所で泣いてしまいましたが

次男の子ども達、姪っ子2人が折り紙で折った鶴を父の目の前に持っていきヒラヒラさせて見せてくれました

やはり孫が視界に入るととてもうれしそうで、
いくら娘でもおばちゃんじゃあ、ダメか!

最初、何を言ってもうなずくだけなのかなと思ったんですが、一緒に写真を撮ろうと次男が父と私にカメラ

そして、私が家族の写真を取り出し、父の目の前に持っていくとうれしそうに見ていました。
そのしっかりしていること・・・
実は認知症が進んでいた父は大声をあげたり、結構激しい暴れ方をしていた時期があり、精神安定剤を施設で出されるようになったそう。その後家族の名前がわからなかったりと混乱している時期があったらしいのです。
それに比べ、今は元の父のように穏やかで落ち着いてると次男が言うのですから不思議です。
持病のための薬が1日20錠

私が帰ろうとすると首を振ってイヤイヤするので、なかなか立ち去れず
「子ども達が家で待っているから、今度は家族で来るからね

と言うと、うんうんとうなずき、バイバイ

東京駅でモロゾフのスカイツリーチョコ?とか子ども向けにお土産を買い、新幹線


近ければ、毎日病室に行くのになあ・・・
母の時にしてあげられたことが父にはできない・・・
それが今の自分にとって、一番悔しく、悲しいことでした

家族の時間って大事ですね

Posted by だいちゃん at 16:58│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。