2012年12月13日

お別れ

12月6日に子ども達は学校を、おとうは会社を休み葬儀のため東京に向かいました。
子ども達は旅行気分、道中でっかく見えた富士山富士山の美しかったことキラキラ

翌日斎場に向かう間も、
「ヤンキの落書き見つけようっにひひ
などとはしゃぐ双子っちあせる
葬儀は初体験なので仕方ないなあ・・・

場所は東京で一番新しいという瑞穂斎場です。
「ごぶさたしてます」
父のクリーニング修行先の三女さん、修行先のご友人、
懐かしい顔がありました
「おねえちゃん、だいの字さんにそっくりねビックリマーク
などなどの四方山話をしていると、いよいよ時間です。

待合室に荷物を置き、別れの場へ
棺桶が着いた途端、長女が目をそらし、一言
「無理っあせる

無理じゃ困るので、一緒に棺桶の脇に行きました。
そこには痩せこけて、ほとんど肉がなく、
でも穏やかな顔の父がおりました。
紺の毛糸の帽子を被ったままですが、これは
入院中に頭に怪我をし、保護のため帽子を持ってくるよう
言われ、長男が買ったものです。

やはり涙が出てきましたしょぼん
「また来るね、今度は家族みんなで来るからビックリマーク
とイヤイヤする父を振り切るように帰ったあの日、
ついに父とは一言も話をしないままになってしまいました。

「約束通りみんなで来たよ・・・」
額に触れ、つぶやきました、でも返事はありません。

母の時にも書いたお別れの手紙、子ども達にも書かせ
4人で入れました。
そしてあらかじめ準備した花束を入れ、
最期に長男が普段愛用していた帽子、
そして犬がとても好きだった父のために
小さい犬わんわんのぬいぐるみをいくつも入れてあげていました。
施設に入ってからは飼い犬に会うこともできず
「会いたい」
とよく言っていたそうです。

そして時間となり
棺は火葬炉の中へ・・・
泣くまいと思っても出てくる涙・・・

待合室で「おこじょ」を取り合いしている
うちの子ども達、また走りまわる姪っ子達・・・

「お待たせいたしました」
父の骨が台に乗せられていました。また長女が
「無理」
と顔を背けました。

係りの方が骨の説明をしてくださり、
「のど仏の部分はこれですね。仏様が手を合わせているように見えるでしょう」
「ほんまや・・・」
子ども達はその骨の姿に魅入られたようです。
後に次男が学校の日記にも書いたくらい印象的だったようです。

骨壷に入れる儀式は二人一組、私は長男と、長女は父と、双子は2人で
拾いました。
そして、骨太だった父の骨が壷に入りきらなかったので
「少し崩させてくださいね」
と係りの方が骨を崩していました。
最期になんと、顎の骨に合わせ入れ歯を入れるんですよ
知ってましたかはてなマーク

入院中入れ歯が無いせいで余計に痩せて見えていた父だったので、
入れ歯が入ってなんだかホッとしました。
それで、終了です。

うちの場合家族だけで見送りましたので、
本当に最低限の簡単な儀式のみでした。
それでも父の死を受け入れ、心が落ち着くのには充分な儀式でした。
通夜や、葬式など、死んじゃったら故人にはわからないのに、こんなに
派手にして・・・などの感想を持つ方もいらっしゃいますが、
儀式というのは、死んだ者のためではなく、残された者のためのものなんじゃないかって
今回思いました。

母の時には父が思い切りお金をかけて
斎場で派手にやり、仏壇もお金をかけ、戒名も有名なお寺でつけて
もらっていましたが、若くして亡くなった母にはそれだけのことをしないと
自分の気持ちに区切りがつかなかったんでしょうね。

その後弟2人とその家族と母の墓参りに行きました。
納骨の日も決まり、戒名もお願いしたら、なんだか
父も満足してくれてるんじゃないかなあ・・・と勝手だけど思えたのでした。

お父さん、天国のお母さんはまだ48歳のまんまなのかなあ・・・
ケンカしないで、仲良くしてね。
そして、私達の家族、弟達と家族をいつまでも見守っていてくださいねキラキラ



Posted by だいちゃん at 11:41│Comments(0)
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